某大学で情報関連のセンター長をしている人と、
「情報教育を担当する先生にふさわしい専門分野は?」というような話を以前にしたことがあります。
単純に考えると、情報教育ですから、「コンピュータサイエンス」や「情報学」を専門とする人が適任者であるような印象を受けます。
いまどき、コンピュータはありとあらゆるところで使われており、「コンピュータサイエンス」や「情報学」を専門としない人でも、コンピュータリテラシーが高い人は珍しくありません。例えば、心理学を専門とする人でも、データの解析に、SPSSとかAMOSなど統計解析ソフトを日常的に駆使している人は多く、建築系の人も、CADや3次元アニメーションのプレゼンテーションが得意な人は多くいます。
先のセンター長さんによると、「情報教育」の非常勤講師の採用場面において、「コンピュータサイエンス」や「情報学」を専門としない候補者の場合、教員資格審査の場面において不合格になることがあるそうです。
その理由ですが、①専門家でない、②業績調書からコンピュータリテラシーが高い人であることが判定できない、などと推測できます。
もちろん、非専門家の場合、コンピュータをユーザーの立場として熟知しているが、ハードウエアとしてのコンピュータの仕組みについての理解が足りない人が含まれているかもしれない。しかし、該当する授業の情報教育を受けようとする学生が、コンピュータサイエンスを専攻しない場合以外がほとんどであり、当該授業の到達目標は、ユーザーとしてコンピュータを使えるようになることを忘れていけません。ipodに音楽のどのようにして入れるかが知りたい人に、専門家としての親切心で、ipodのハードウエアの仕組みや、ipodとPCとの情報プロトコルの説明等を含めて教えてあげようとすると、受け手にとって情報過多となり、肝心のipodの入れ方が伝わらなかった、なんてケースに類似しているかもしれない。
コンピュータサイエンス等の専門家であるがゆえに、むしろデメリットすらあると思います。コンピュータの”出来過ぎ君”であるがゆえに、コンピュータの知識や技能が無意識化、自動化しており、テクニカルタームを無意識に多用するなどコンピュータが出来ない人、初学者の理解レベルを慮ることができないこともあるかもしれません。
そういうわけで、個人的な見解としては、情報教員の担当教員が、コンピュータサイエンス等の専門家である必要がないと考えます。
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さて、園芸の本を読もうとし、奥付の著者のプロフィールをみたとき、園芸の専門家ではない人が書き手だったことがわかったとしたら、あなたはどう思いますか?
今回、園芸の非専門家による園芸関連の本の中で、感銘を受けた本をいくつか紹介したいと思います。
まずは、タレント、ミュージシャン、作家など、枠にはまらないマルチクリエーターとして活躍されている、いとうせいこうさんの本:「ボタニカル・ライフ―植物生活 」(新潮文庫)、 「自己流園芸ベランダ派」(毎日新聞社) です。
あるときカレル・チャペックの「園芸家12カ月」に感化され、自宅マンションのベランダで60鉢もの植物を育てる「ベランダー」(←著者の造語)となり、それらの植物との共同生活(←深い愛情をもって擬人的に表現)の悲喜交々が絶妙の筆致で描かれており、共感するところが多数ありです。
いとうさんは、「PLANTED」という分類不能な(書店でどこの棚に置くべきか悩ましい)の雑誌、”植物系ライフスタイル”マガジンの編集長もされていました(残念ながら、#9でもって休刊となりました)。
次の本は、筑波大学名誉教授(現、玉川大学教授)の三井秀樹さんによる「ガーデニングの愉しみ―私流庭づくりへの挑戦」 (中公新書) です。
私と同じ研究室だったYさんが、筑波大学に就職した直後に、Yさんに会ったときに、同じ学科に、三井秀樹さんという「構成学」「メディアアート」の分野で高名な先生がいらっしゃるいう話を伺いました。ただ、私個人、「構成学」「メディアアート」には特に興味がなかったので、それほど気に留めず、「三井」とはペンネームで、本名は「三ツ井」と「ツ」が入るという言説のみが、私の長期記憶に保存されたのでした。
それからあれこれ8年後、川崎市立図書館で偶然に目にした本が、すでに絶版となっている、今回の本だったのです。専門分野ではない「園芸」関係の本であることにまず驚愕したことと、三井さんのガーデニングライフヒストリーに基づかれた内容がとても面白く引き込まれるように読みました。もっとも、都内のマンション1階の数坪の専用庭からスタートしたガーデイング人生が、現在では、筑波山ろくに、約1000坪(!)という大庭園をかまえるに至られており、「園芸」を生業にしないだけで、巷に溢れる”自称”ガーデイング専門家よりも「園芸」「ガーデニング」に関する造詣がずっと深く、非専門家と呼ぶことは大変に失礼な話かもしれません。
なお、玉川大学に異動されてから、筑波山ろくの大庭園の管理はどうされているのだろうかという点が個人的には気がかりですが・・・・。
いとうせいこうさんと三井秀樹さんの本が面白かった理由を考えてみたのですが、植物を枯らしてしまったような失敗談も赤裸々に書かれている点もその要因でしょう。失敗することは、主要な読者ターゲットである一般素人の園芸愛好家がしばしば経験することであり、失敗に関連する情報は、読者として知りたい情報のはずですが、専門家による園芸の本にはあり得ない話なのです。といいうのも、「園芸」の専門家たる人が、植物を枯らしてしまったなどという失敗談を書くことは、専門家としての権威を失墜させてしまうことになるからです。
また、「園芸」の専門的な本では、園芸に関する技術的な内容は充実しているものの、植物と人間との邂逅の心模様まで踏み込んだ類書がほとんどなかったことと、「園芸」専門家は、そのようなナイーブな心の機微を表現するだけの表現力が足りないことにも一因でしょう。他方、いとうせいこうさんと三井秀樹さんは多数の本を上梓されており、いわば表現の達人であり、かれらの高度な表現力をもって、園芸の面白さが顕在化したのではないでしょうか。
私自身「環境学」関連の学科に所属していて、「専門性」と「学際性」をどう両立させるかが大きな課題ですが、今回のトピックスは、これらの課題を考える上で良いヒントになりました。